島に住んで釣をする

※広島経済スタートライン 2011年7月号掲載
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かつて「2007年問題」というのがあった。いわゆる団塊世代(1947〈昭22〉年生れ~)が2007年から順次還暦、定年を迎え、そのことが世の中を大きく変えることになるだろう、というもの。閉塞的世相の中で、この「問題」はどちらかといえばその成行きに期待がもたれた。

 「2007年問題」の到来を前にして、リタイアした団塊世代が住みにくい大都会から脱出し始める(民族の大移動が起こる)のではないかという観測がさかんに行われた。とくに人口の減少が明確となり、社会・生活資源が余剰化(その前に老朽化)しつつあった地方は、地方自治体を含めて、団塊世代移住論を大いに歓迎した。そして、それを促すべくいろいろな運動や試みが展開された。

 そのひとつ、私も積極的に参加した企画は、JR呉線の駅近くにある空き地(さがしてみればそれなりのスペースが結構存在する)に良質低廉な住居を用意して移り住んでもらおう、というもの。

 交通、ショッピング、病院など生活環境・事情の調査、地権者への打診も一部行う一方で、東京で定年退職者のセカンドライフの充実を目指して活発な活動を行っているNPO法人の代表の方(10名)を招いて1週間かけて現地を視察してもらった。彼らのニーズとどのくらい合致するのかを知るために。見学を終えた彼らと意見交換したところ、ひそかに恐れていたとおり、当方の意気込みばかり先行して、要は空回りであった。

 先方がおっしゃるには、移住の条件は一応揃えてはあるがが、移住してみたいと心惹かれるものがない、と。明確な発言はなかったが、地元(コミュニティ)が喜んで受け入れてくれるかどうかの懸念もある、と。

 さらには移住に関してご夫婦の気持ちを合致させるのは至難の業である、とも。そして彼らの意見の大宗は、いきなり移住ではなく、まず来て住んでみる滞在、体験型を試行してみてはどうか、というものだった。当方、ギャフン状態だったが、思いがけない〝発見〟があった。

 それは、彼らは「島」にたいへん興味(というより憧れ)を持っている、ということ。安浦や竹原や大乗などの駅付近の移住可能地には大した関心は抱かなかったのに、観光で立寄った蒲刈上・下島、昼食とくつろぎの為に行った大崎上島での尋常でない興奮振り、自動車で移動中に見つけた大芝島へ渡り廃校舎をみて遠い昔を思い起こしているような素振り……。(大飛躍するけど)日本人は島が好きなのだ。前述の意見交換会の中で、あるご主人が「島はいいなあ、そこに住んで好きな釣を一生やっていたいよ」と。隣の奥様もその情景を想像して夢みる乙女になられたかと思いきや、ややあって小声で「東京のウチはどうするのよ」と、現実に戻った。

 しかし、考えてみれば、「島」は今まで人生をやった娑婆(陸)から隔たりを感じるし、「釣」も今まで時・分単位で動かされてきたビジネスの日々とは一線を画す所業である。多くの人々のセカンドライフを考えるうえで、島や釣は重要なキーワードになるのではないか。

 さて、「2007年問題」のその後であるが、あれから4年たち、団塊世代はめでたく還暦を迎えみんな60才を超えたが、この世の中、地鳴りするような大変動が起こっているようではない。団塊世代の有する「技能」が惜しまれ、「再雇用」等のかたちで実業の場にとどまっていて、完全リタイヤ状態になってはいないからであるが、世の中を大きく変えるマグマがなくなった訳ではなく、ちょっと先送りされているだけではないかと思っている。地方も島も釣もまだまだこれからである。チエを出し行動すればこの国は変わるし、面白いことが一杯ありそうだ。

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日本を代表する美しい砂浜 蒲刈・県民の浜 蒲刈は釣りのメッカだ。

魁!盛運塾「夢と目標」

広島経済スタートラン 2011年1月号掲載

こんにちは、大澤です。今回のテーマは、「夢と目標」です。

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夢と聞くとワクワクして、楽しくなってきますか?夢という言葉を聞いて、「夢は寝てみるもの、どうせ実現できないもの」と思ってしまう人も少なくありません。子供の頃、ほとんどの人に夢がありました。

「将来何になりたい?」って聞かれると、プロ野球の選手。宇宙飛行士。総理大臣。等々。すぐに口をついて出てきたはずです。ところが、中学生になり、高校生になり、社会人になって行くにしたがって、夢を語らなくなって行きます。(夜の蝶が舞うお店で妄想を語る人はいるかもしれませんが。(笑)

人は成長して行くにしたがって様々な知識が身につきます。世の中の仕組みや世間も知っていきます。その経験や学びの中で、多くの挫折を味わいます。例えば、映画スーパーマンを見て、空を飛べると思っていたのが実は自分が飛べないことを知ることなどから始まり、かけっこで一番になれなかったり、ガンバッても勉強が追いつかなかったりしながら、「自分はこんなものだ」と自分の限界を決めてしまうのです。自分の将来・人生はおそらくこれぐらいだろうと決めてしまう事に繋がります。

それは、失敗の体験を重ねて、自信をなくしている状態です。

人は放っておくとほとんど、ネガティブな思考になります。それは動物として考えると、人間はとても弱く、常に最悪の状態を想定していないと生きられなかったからだと言われています。だからそれは自然な事なのです。

行き過ぎたプラス思考で「私は空を飛べる」と言って、高い所から飛ぶと大変な事になります。そんな人はいないでしょう。しかし仕事で考えてみます。仕事のプロとしての自覚に欠けた状態、つまり発展している会社や流行っているお店の表面だけを真似して「オレもできる」と勝負するのはただの博打です。

丁半勝負ではいずれ負けます。そのライバル会社は発展・流行る為に寝る間も惜しんで、とても深く考えられた裏づけがあるものです。そこまで考えないと、負けるのは当たり前です。

話を戻しますが、つまり人はネガティブな体験をよく覚えていて、今後もその通りの自分であり、人生もそうなって行くと思ってしまいがちなのです。でも、よく考えてみると、そんなにネガティブな出来事ばかりでしょうか?

望めば毎日三度のメシを食べられているのではないでしょうか?仕事もあって家族がいて、寝るところもあって、友人がいて、体も不自由なく・・・・・。数え上げるといくらでもあります。要は「焦点」の問題です。

ネガティブに思える出来事も「焦点」をかえればポジティブに考える事ができます。出来事自体に意味はなく、自分が意味をつけています。(紙面上詳しく書きませんが、仏教で言う「空」心理学で言う「リフレーム」です)

何に焦点を当てて生きているか?何をもって幸せだと思うのか?という事でしょう。

「夢や目標」は大切です。ですが、自分がリーダー、もしくは誰かに見本とされる立場の人(自分が保護者である事も含みます)ならば特に、知っておかなければいけない事があります。 

「知足(ちそく)」という老子の言葉です。「足るを知ったるものは常に足る」

今の自分はすでに足りている(幸せである)事を知っているということです。

目標を掲げて、達成する。そして、まだ足りないまだ足りないと新たな目標設定する。自分は良くても周りが付いて来られません。達成しても、実は自分も幸せでない可能性が高いのです。

自分はすでに足りている(幸せである)事を知っていて、目標を達成すると自分も周りも、もっと幸せになる。達成できても出来なくても幸せ。という状態が理想です。

余談ですが、徳川家康・武田信玄が老子を愛していたようです。

豊臣秀吉は天下を取るまでは素敵な武将だったようですが、きらびやかな生活をし、まだ日本が安定していないのに、足りない足りないとエゴ丸出しで、朝鮮出兵までしてしまいました。

徳川家康は最期まで質素・倹約し、秀忠に蓄えた財産を私用に使ってはいけないと教えていたようです。国をうまく治める為の本も自らたくさん出版しています。徳川の時代が長く続いたのは当り前のように感じます。

話を戻します。
「できてもできなくても良いならモチベーションが下がるじゃないか」という声が聞こえてきそうです。そもそも、目標は何の為にいるのでしょうか?という事が大切です。

自分のエゴの為だとモチベーションは下がります。なぜなら達成できなくても生きていける事を経験上知っているからです。

目標や夢を掲げるなら達成したときに自分は当たり前ですが、周りや他人、世間が幸せになるためものにするとモチベーションは下がりにくくなります。

人の欲求の中に「自己重要感」をいうものがあります。ある環境において自分がどれだけ必要とされている人物であるかを認識している感覚です。他人の幸せになる事をする人は周りや世間から必要とされますから、この自己重要感という欲求が充たされます。するとモチベーションが上がり、持続します。

夢や目標を掲げるとき、一体誰が幸せになるのかを基準に考えておく必要がありそうです。

あなた様に全ての良き事が雪崩の如く起きます。感謝。

中国のモノマネと日本のモノマネ

※ヒロシマスタートライン 2011年1月号掲載
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姫路食博2010にて。呉細うどん研究会のお手伝い。

中国(人)によるモノマネが何かにつけて話題になり、時に物議をかもしている。彼らのモノマネはブランド品からアミューズメントもの、はては商号に至るまで広範にわたっているが、私たち日本(人)からすると、めくじら立てるような時もあるが、そうじて微笑ましく大目に見ようとする気分がある。

それは私たち日本人も近代化するに際して欧米のモノマネをしてきたし、古くは卑弥呼の時代から中国を見習ってきたではないか。今の中国は何10年か前の日本と同じだよ、と思うところがあるからではないか。

とはいっても、中国がしているモノマネと私たち日本がしてきたモノマネが全く同じかと問われると、何かしら違いがある。しかも本質的ともいえる違いがあるように思える。では、どこが違うのかと問われると、ウーンと考え込んでしまう。

これについて、かつて、ある中央官庁の広島上八丁堀の局長さん(在外勤務が長かった)から極めて魅力的な解説をうかがった。曰く「中国は〝商人〟がするモノマネ、これに対して日本のモノマネは〝職人〟がする」と。

なるほど、日本のモノマネは時としてホンモノを超え、そして異次元領域へと進化したりする。日本のモノマネの究極はそこへ辿り着くことにある。一方、中国のモノマネは、相当本物に近い物がS級、まあまあがA級、そのようなものがB級で、決してホンモノには到達しない(むしろ到達しようとは思っていない)が、価格は安いというのが彼らのモノマネの究極であるらしい。常にコストおよび利益を睨んでいるから〝商人〟のモノマネということか。

しかし、18世紀までの中国は一貫して世界に冠たる中華帝国で、四囲がみな中国をマネた。それがアヘン戦争あたりからおかしくなって、それからの200年は散々で、品質も品性も何もかも地に堕ちた。数年前、上海で「景徳鎮」の水差しを買って帰ったら、蓋が合致せず使おうとするとカタカタと鳴る。色合いは悪くなかったのだが、このカタカタはもう改善(朱・明時代への復旧)がなされているのかしら(?)

ところで、ホンモノを超える日本のモノマネはコスト無視かというと、そんなことは決してない。私は大学に入った年(昭和39年)「マーケティング論」という科目をとった。

アメリカナイズ(かぶれ?)された教授が「これからは使い捨ての1ドル時計か、1万ドルの孫子伝世高級時計になり、中級品は淘汰されるだろう」と予言したが、これがものの見事に外れた。日本は中級品の品質向上、即ち「品質の良いものをより安く」という欧米人(もちろん中国人も)には及びもつかぬこと(神の領域)に挑戦して見事に成功し、世界制覇を果たした。それは船舶、自転車、カメラ、電化製品等、ものづくり分野において顕著だが、高品質(エコ、環境、健康等の要素も付加した)で日本発の商品、サービスは価格決定までも掌中にした感もある。日本料理やある種の農水物、アニメにおいてもそうである。

こうした高品質(そして恐らく高品性)を求めてきた日本(人)がこのところ少し揺らいでいる。バブルの崩壊で貧乏になったと感じ、人口も減り収入も減って(国の借金だけは増えて)、この国の先行き不安が増大しているためだが、それらは概ね「早合点」、「錯覚」である。わが国の高品質志向は全く衰えておらず、目下の「デフレ」で少し面喰っているようだが生活は決して貧しくなっている訳ではない。中国の拡大・発展はまだ張りぼてだ。

モノマネを超えたところにいる私たちは、さらに品質と品性の向上に励み、これを「文明」にまで引上げるという使命がある(とまでいうといささかオーバーだが)。ここれでポシャってしまっては、日露戦争を戦い抜き、戦後の焼野原から再生した先人たちに申し開きできないではないか。
(22年12月14日 記)

高令化率日本一 呉炎2010.9

ヒロシマスタートライン 2010.9
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「石段の家 風」へ続く石段にて、作家・池端俊策氏(右)と。

 1年ほど前に、呉市の福祉行政の専門官の方から「これからのご老人のケアはなるべくご自宅でご家族がみるように、それが最も好ましく自然なことですから」というお話を伺った。そりゃそうだけどもチョット待ってほしい。老人ケアを「自宅で家族が」というのは昭和30年代までのことで、その後のわが国の考え方は「経済成長のために精出してくれ、そり代り老人のケアは政府がするから」へと転換したのではなかったのか。「自宅で家族が」は美しい言葉ではあるが、今になってそれを実行するのはたいへんに難しいなあ、と思っていたら―。

 先般、当地呉市の65才以上の高令者の割合=高令化率は28・2%(22/3時点)と、人口15万人以上の都市の中でトップということが呉市の調査で分かった、との報道があった。わが国全体の高令化率が22・9%だから、当地はかなり高い。また2020年のわが国の高令化率が29%と予想されているから、当地は約10年早くそれを「達成」しており、10年先を行く「先進」都市だと言えなくもない。

 当地の高令化率が高い理由、背景についてだが、そもそも××率という「比率」が曲者で、その比率は正しく評価するには分子と分母をそれぞれよく吟味する必要がある。高令化比率の分子は65才以上の高令者数、これは長寿化で増えているし、今後いわゆる「団塊の世代」が65才を超えればその増勢はさらに強まる。問題は分母で、即ち総人口が横ばいであれば高令化率は上昇するが穏当な範囲だが、当地の総人口は30年も前からジワジワと減少し続けており、分子の増加、分母の減少から高令化率は大きく上昇し、気が付けば日本一になっていた。ここでチョット考えてみると、当地は65才未満人口が〝大幅に〟減少している訳で、そのことが実は大問題であって、何とか65才未満人口の減少をくい止めること考えて有効な手をうたなくてはならないのだが―。

 話を転じて、当地に限らずわが国の高令化率上昇の中で一般的にみられる現象として、国民貯蓄にあける高令者(世帯)のウエイト増大がみてとれる。また高令者の貯蓄額自体も年々増加している気配がある。

別表
そうした状況は別表を見ていただくと明らかだが、これは日銀の金融広報中央委員会が毎年調査しているもので、サンプル調査であるうえ調査先が連続しているとは限らないので、断定的なことは言えないが、高令者の貯蓄の傾向はうかがえる。勿論あくまで平均してみたもので、すべての高令者がリッチマンである訳ではない。なお、ついでながら私の勤務する呉信用金庫の預金は近年100%以上高令者によって増やしてもらっている。

 さて、高令者の収入源は、事業収入、資産収入のある方もおられるが、大半は年金で、年金の一部を貯めておられる。消費を切り詰めておられる訳だが、年金の額もチョット多いということもあるかも(いや、平均的にみてということ!)。チョット多い部分を若手層に回せば(減税等で)、消費が増えて経済もチョット活気付く。そういうことは、みなさん内々分かってはいるが、手が付けられない。それによる「変化」が怖いから。

 しかし、これから高令化率がもっと上昇すれば現状のままでは、年金や医療費等の増大から財政(財源)がもたなくなる。冒頭の老人ケアは「自宅で家族が」はこうした事態を先取りしたものか。亊程左様に当地は全国に先駆けて高令化社会に突入していて、高令化への対応は行政や社会活動あるいは企業経営においても早くから実行されている(市営バスの老人パスなど40年前のこと)。成功例もあれば失敗例もあろうが、それらをドキュメント化して、他地域の参考に供するのも高令化率日本一の当地の義務かもしれない。
(22年8月25日 記)

特集・日本酒の未来と可能性

※ヒロシマスタートライン2010年9月号掲載

 呉市の酒造りの雄、千福でおなじみの㈱三宅本店(呉市本通)、三宅清嗣社長と同社自慢の金賞杜氏・瀬戸富央さんに「日本酒の未来」についてインタビューした。
 同社は純米大吟醸「蔵」が、モンドセレクション最高金賞を受賞するなどブランド力強化にも注力している。「よりよい物を造りだす」杜氏の立場と、「売れる仕組みを構築す
る」経営者との思考をズームアップし当地域における「日本酒」の未来と可能性について考える。
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▼三宅本店としてモンドセレクションに求める物、期待するものは?
三宅社長「モンドセレクションを受賞することで、特に需要の伸びている海外に通用するブランド力、バックボーンが出来る事は間違いありません。海外向けは韓国、中国、タイ、シンガポールなどアジア向けも需要が高まってきています。また、国内向けと致しましても(蔵については)価格帯の高い商品ですのでエンドユーザーの方が『納得』して購入していただけると思います。」

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瀬戸杜氏

▼「純米大吟醸 蔵」について杜氏としてのこだわりは?
瀬戸杜氏「大吟醸の特長は『華やかな香り』です。ただ香りだけでなくしっかり麹を発酵させて『しっかりと味がある酒造り』を全体的に心掛けています。原料も広島産にこだわっています。」

▼純米酒とアル添酒※の問題が日本酒ファンの間で取り上げられることが多いが?
瀬戸杜氏「アル添酒にもちゃんとした意図もあります。大吟醸などに使用する場合、風味が際立つ軽快なお酒に仕上がります。」
三宅社長「酒粕に逃げてしまう香り(吟醸香)をアルコールを添加することで、より(お酒に)引き戻す事が出来ます。これ(純米志向)は飲む方の好みで決めて頂ければよいと思っています。ただ、毛嫌いして数値だけで見るのではなく実際に飲んで楽しんで決めて頂ければ嬉しいです。」※アル添酒=醸造用アルコールを添加したお酒。
三宅社長「特別な時に楽しむ高いお酒も大切ですが、毎晩気楽に楽しむお酒も本当に大切にしたい。今回のモンドセレクションも最高級の『蔵』が受賞した事も嬉しかったですが、『にごり酒』が金賞を頂いた事が本当に嬉しかったです。当社の看板でもある赤パック、青パックもアル添酒です。お買い求めやすく、飲み易くするためにアル添もうまく活用しなくてはならないし、それらを美味しいお酒に仕上げていく事にも強いこだわりを持っています。」

▼日本酒は生き物。呉市内の取扱店でも明るい場所やエアコンの送風が直接あたる場所に日本酒を陳列していたり、店頭での管理について不十分なお店も多い?
三宅社長「確かにそういう状況は見受けられます。ただ頭ごなしに物事を進めていっても上手くはいくものではありません。福の会を開催したり、ウェブサイトで広報したり、少しずつ情報を発信していく事で、お店側の方が自然と気づいて下さるように丁寧にしっかり伝える事が出来るように心掛けています。」
瀬戸杜氏「最近は、環境によってあまり味の変化が出にくいようなお酒の開発も視野に入れています。簡単ではないですけどね(笑)。」

▼「良い物を作りたい職人」の立場の杜氏と「利益追求もしなくてはならない」経営者との良好なバランス関係は?

瀬戸杜氏「やはり造る以上は徹底的に良い物は造りたいですね。大部分については任せて頂いていると感じています。」
三宅社長「もちろんオーバースペックになりすぎないようには指示しています。結局のところそうすると価格としてお客様に跳ね返ってしまいます。誰も手が届かないものをつくっても仕方ありませんからね。」
三宅社長「お酒の味の志向もある程度『流行り廃り』はあります。ある程度の対応はしても迎合しすぎず元来の味を守り、古くから千福を愛してくれているお客様を大切にしています。それを踏まえた上で新市場も開拓しなくては『日本酒の未来』は築けないと思います。近くまで来ていただいた方には酒工房せせらぎで酒造りをご案内させて頂いています。まずは日本酒についてもっと知ってもらう事が大切だと感じています。」

[取材後記]今回の取材で感じた事は、日本酒の可能性を広めるには日本酒の持つ「どんな食べ物とも相性が良い」という強みをもっとアピールできたら、と思えた。

呉炎 2010.9

※ヒロシマスタートライン 2010年9月号に掲載
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 学校を卒業する男子が3人。1人はグローバル君といって、中央の大企業に就職し、全国を転勤や出張で飛び回り、時には海外にも赴任した。グローバル君の仕事は主に輸出というかたちでわが国経済の成長、発展を主導した。彼は仕事に深いやりがいを感じ、自ら選んだ職業と歩んできた道に満足し自信を覚えている。人生の成功者である。

 もう1人はパブリック君。国(あるいは県市)の公務員として国(県市)のあるべき姿を企画し、微税し、予算をつけ、文字通り私利私欲を捨てエリートとしてわが国をリードしてきた。強い使命感と高いプライドを持っている。彼もやはり人生の成功者というべきだろう。

 3人目はローカル君。地元の企業に就職して、懸命に働いてその企業の技術、ノウハウを習得し、やがて「のれん」分けしてもらい(あるいは相続、継承し)、自らの創意工夫を付加してビジネスモデルを確立。地元の信用金庫に借金して工場、営業所を所有し、地元経営者として多忙な日々を送っている。ローカル君は地域経済の発展を支えているとの自負もあり、彼もまた仕事への大いなるやりがいと自らへの満足と自信を持った人生の成功者である。

 ところで地域経済を直接担っているのはローカル君だが、ローカル君の仕事はグローバル君のいる大企業からの受注であったり、大企業によって輸出されたりするので、グローバル君も地域経済とは無縁ではない。またパブリック君の仕事は予算執行を通じてローカル君の仕事を潤す。その代表が公共事業(をローカル君が受注・施工する)である。

 ここで地域経済、即ちローカル君の仕事は何によって構成されているか整理しておこう。
○ローカル君がつくる製品、サービスのうち地域内消費される部分(内需)
○グローバル君の大企業を通して→海外へ→輸出される部分(外需)
○パブリック君のところからもたらされる公共事業

 ここにおいて重要なことは、地域経済の真中にいるのはローカル君であり、グローバル君やパブリック君の存在感が強くローカル君の影が薄い時もあったが、それは本来おかしいことだと再確認しておくべきだ。
 男子3人の輝かしい人生(成功モデルといってもよい)は昭和時代にたしかに存在した。昭和時代には事業意欲に満ちあふれたローカル君がいた。しかし近年、様子が変わってきて地域経済の低迷が大問題になっている。地域経済を構成する○、○、○に次のような大異変が起こった。

○=消費構造の変化、人口の減少
○=新興国への仕事の移転(大企業からの受注単価は抑制されたまま)
○=少子高令化に伴う財政悪化から公共事業が大幅削減

 このため、グローバル君とパブリック君はそこそこやっているのに、ローカル君に元気がなくなっている。現に、地元企業の数は減少に転じて久しいが、減少の要因は事業をやめる先が増大しているのではなく、創業・起業が激減していることである(企業よ、お前も「少子化」か!)。

 では、ローカル君が蘇るにはどうすればよいのか。それにはいろいろなアプローチ、沢山の処方箋があるが、上の○、○、○に則して考えてみたい。

○→自らのビジネスモデルを今日の顧客環境の変化に対応するという観点から(自らの成功体験はしばらく横において)、真摯に見直してみることが第一。また当地の僥幸ともいうべき「大和ミュージアム」等への来訪者の増加を〝観光客〟として当地経済(の消費増)に取込む工夫と努力が絶対に必要かつ急務。

○→チープレイバーの新興国の及ばない製品、サービスへと高度化していくほかない。またこれまで大企業に依存してきた他地域・海外への移・輸出さらには海外での活動(現地化)を自ら手掛けることも考えたい。「アジアの需要」を取込むことがわが国の成長戦略といわれているが、それを誰がやるのか。地元企業が少し出ていってもよい。一方〝すぐれた〟モノ・サービスを作っていれば誰かが買ってくれるという時代ではなくなった。当地企業に販売力・営業力(顧客の創造・開拓)が付与されれば鬼に金棒。ここはひとつ地域経済の全体で〝金棒〟を手に入れる算段をしないと。

○→公共工事が以前のレベルに復する事は考えにくいが、公共インフラのみならず民間建造物も高度成長が始まった1960~70年代から急増しており、それらが経年劣化を来たしつつある。今後、計画的にそれらの保全・改修を行っていく必要がある(「コンクリートより人」とは、人が瓦解したコンクリートの下にならぬように、という意味に解すべきほどだ)。

 かくの如く、ローカル君にはションボリしている暇などない。新しい事業を拓き、起業し、これまでのやり残しやご乱業の後始末もあってタイヘンだが、地域経済を蘇らせるのはローカル君しかいない。いまやローカル君の仕事のやりがいは、グローバル君やパブリック君よりはるかに大きくなった。

呉経済MMインタビュー 八代恭宏氏(故人)、八代一成氏

※ヒロシマスタートライン 2010年9月号掲載

ベンダ工業の「海外進出成功事例」を徹底分析
キーワードは「強い信念」と「コミュニケーション」
国内生産拠点には「日本でしかつくれないもの」を!

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 コストの削減を命題とされる製造業では、いまや海外進出をしない企業は生き残れない、とも言われている。呉市内にも各国へ生産拠点を有する企業、また今後展開を計画している企業は多いが、その先駆けとなった企業がある。

 エンジン部品であるリングギアの製造メーカーとして世界トップシェアを勝ち取った、ベンダ工業㈱(呉市川尻町小仁方、八代一成社長)だ。

 「海外進出」について1980年代に成功させた「韓国進出時の苦労話」と「今後の海外展開ビジョンと国内生産拠点のあり方」について、ベンダ工業・八代恭宏代表取締役会長(故人、役職は当時)と八代一成代表取締役社長にインタビューした。

▼韓国に初進出されたときは?
会長「1980年代の初めでした。韓国進出の数年前からベンダは韓国へのリングギア素材の輸出を行っていました。そこへ現地企業から『技術提携』の話が舞い込んできました。」

▼当時の韓国進出事情は?
会長「進出当初の1980年代は韓国に進出した企業の10社中9社が失敗していました。わが社も、当初固有技術の使用料としてロイヤリティ契約を締結していましたが、約一年後、突然、信頼していた提携先に契約の解消を届出されてしまいました。
 その提携先の紹介者であった韓国大手企業の幹部の方が心を痛め新たなパートナーを探して下さり、韓国仁川市の有力企業であった、そのパートナー企業主体の合弁会社「ベンダ鮮光工業」設立に至ったのが1986年のことです。」

▼当時の韓国は?(治安や反日感情など)
会長「今でこそ世界でも最先端の文化と技術を誇る韓国ですが、当時は夜に出歩くのは恐ろしい、治安の悪い国でした。勿論、北の恐怖もありました。反日感情の意識もとても強く全てにおいて厳しかったです。」

▼どうやって信頼できる仲に?
会長「とにかく『相手を信頼する』『敬意を持って接する』という事です。相手に信頼してもらうには、まず自分が相手を信頼しなくてはなりません。そしてコミュニケーションをとって腹にためずにお互いをぶつけ合う。そして自分が相手を大切に思っているという事、信頼しているという事をアピールしなくては伝わりません。言葉の壁は大した問題ではないのです。」

▼仕事上で困ったことはございましたか?
会長「国民性が今とは全然違っておりまして。とにかく時間にルーズでした。これを徹底させることがとても時間が掛かりました。」
社長「えー?いまでは全然想像できません。」
会長「そうなんですよ。会議をしても現場のリーダーが遅れて出てくる感じだったんですよ。とにかく『時間を大切にしよう。時は金なり。』と繰り返し繰り返して浸透に苦労いたしました。」

▼韓国進出当初赤字が続いた?
会長「86年に設立して87、88、89と増資を続けましたが90年代の前半にパートナー企業が離れてしまい、ベンダ工業オンリーでの経営になりました。それでも赤字は続き創業者の先代会長の八代一芳に、私をはじめ弟の八代公治(副社長)、八代行雄(青島奔達汽車配件有限公司社長)は『撤退しましょう』と進言しましたが『帰りたければ帰れ、ワシはひとりでも残る』との答えでした。」

▼何故残ることに?
社長「ある程度の見通しはつけていたのですか?その後の円高を予測していたとか?」
会長「いやいや、先代会長の信念と迫力に従ったんです。ただ『この人に付いていけば大丈夫だ』という直感はありました。また『親父を1人で残せるか』という気概で3人がまとまりました。今思えばあの時もしも撤退していたら今のベンダ工業はありませんでした。」

▼この時の苦労が国内展開でも生きてきている?
会長「勿論、勿論。わが社は韓国進出した頃でも『ものづくりは良いものを造っていればお客は勝手にやってくる』というスタンスでした。私はそれを疑問に感じ『良いものを造ってもそれを広めなくてはならない』という気持ちで営業活動をたった一人で開始しました。」

▼今後の海外展開は?
社長「今日は会長の話が大変、勉強になりました。今後は中国を中心とした展開になります。生産拠点というだけではなく、成長著しい中国の自動車市場や自動車メーカーへ向けた販売戦略を打って出なくてはなりません。」

▼黒瀬に第二工場を建設中。
社長「国内の生産拠点も充実させていきます。特に質的なものを充実させます。日本でしかつくれないもの、日本にしか無い技術を生み続けていかなくてはなりません。リーダーシップを確立するためにも、新たな分野を切り拓く為にもです。」

広島経済インタビュー「迫る」 内田和成氏

※ヒロシマスタートライン 2010年9月号掲載
―広島県のアドバイザーを任されました。コンサルタント業務を請けた、という事ですか?
 コンサルタント業務ではなく、湯崎英彦知事が会議を主宰し、意見・提言を聞く場を設け、その意見・提言を今後の県政運営の参考とする「広島県経済財政会議」の委員に就任した、ということになります。
 アドバイザーですから、県全体の経済に関して大所高所に立った話が多くなると思います。

―広島に対する印象は?
 残念ながら、まだそんなに詳しくはありません。お好み焼きが美味しいとか、海に面している市と、山の中の市があること。そういう印象かな。これからしっかりリサーチしていきますよ。
―特に興味深い企業があったとお伺いしました。
 三次市の平田観光農園(三次市上田町1740―3、平田真一社長)が素晴らしい経営をなされている、という事で大変興味を持っています。また広島を訪れたときには是非、実際に足を運んで見たいと思っています。

―内田先生という超一流のコンサルタントにアドバイザーになって頂き、広島はとてもラッキーです!
 ご期待に沿えるようにがんばります。今後はちょくちょく広島に来る機会も増える(年間4~5回ペース)と思います。こちらこそ色々情報提供お願いしますね。

―内田先生ほどの方でも人生山あり
谷あり失敗などもありましたか?
 そりゃあ当然でしょう。特にMBAを取得していた2年間は無収入でした。2歳と0歳の子供を抱えて!今でも家内には、その時の事をチクリチクリと責められますよ(笑)。

―失敗や不調を乗り切った方法は?
 僕は常にポジティブでいる事を心掛けています。大きな失敗するもありましたが失敗から学ぶ事の方が多いですね。暗くならずポジティブでいる事はとても重要です。

― ありがとうございました。広島のことを宜しくお願いします。
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内田和成先生(左)とご一緒で超緊張している羽納編集長(右)

【内田和成】
早稲田大学ビジネススクール教授。東京大学工学部卒。慶應義塾大学経営学修士(MBA)。1985年ボストンコンサルティンググループ(BCG)入社。2000年6月~2004年12月までBCG日本代表。2009年12月までシニア・アドバイザーを務める。2006年には「世界で最も有力なコンサルタントのトップ25人」(米コンサルティング・マガジン)に選ばれた。最新著書「論点思考」東洋経済新聞社

バッテリーについて 中神自動車工業 

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㈱中神自動車工業で営業を担当させて頂いています、長谷川昇でございます。コチラでは、大切なお車のメンテナンスなどの耳寄りなお話をさせて頂こうと思います。

暑い季節など、車を運転する際は、エアコンをつけるのが当たり前です。しかし、以下の項目に当てはまる方は、バッテリーに負担がかかっています。突然上がってしまったり、車が止まってしまうかもしれませんので要注意です。チェックしてみて下さいね♪

チェックポイント
□ 1日に何度もセルモーターを使用している。
□ 夜間しか車を使用しない。
□ 消費電力の大きな電装品を装備している。
□ いつもエアコンを使用している。
□ カーオーディオに凝っている。
□ 一度に走行する距離が短い。
□ たまにしか車を使用しない。

バッテリーを最近点検していない、3年以上交換していない人は特に要注意ですよ!!

記事 中神自動車工業 営業・長谷川

人間関係③

※チヌパラシーズン10掲載 2014.10
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株式会社オオサワ創研 代表取締役社長大澤仁志

 人間関係でもっとも大切なことは「信頼関係」ではないでしょうか?
 ビジネスでも趣味でも「信頼」がない相手とは成り立ちませんよね。

 信頼を築くためには、まず相手としっかりコミュニケーションをとる事が大切です。

 どちらかが「話す」とどちらかが「聞く」。これでコミュニケーションが発生します。
 実は「話す事」も大切なのですが「聞く」「聞き方」という事もとても大切なのです。

 意識が自分に向いてしまったまま話を聞く人は、相手の話を遮って自分の話を始めてしまいます。
 相手が大切だと思うのならば、意識を相手に向けて話しをしっかり聞かなくてはコミュニケーションは成り立ちません。

 部下や後輩が、仕事や釣りについて悩み事を相談してくれた場合でも、自分に意識が向いていしまっている人は「自分のやり方」を説明して押し付けて終わってしまう事が多々あります。

 自分がどうしている、ではなく(相談してくれている)「相手がどうして(失敗して)いるのか?」という事をしっかり聞いてあげることが大切で、それを聞いてあげることで初めて本当のコミュニケーションがとれ、改善策が見つかるのです。

 明日もあなた様に全ての良き事が雪崩の如く起きますように。

人間関係②

※チヌパラシーズン9掲載 2014.9
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㈱オオサワ創研 代表取締役社長大澤仁志

私は人と話す時、つまりコミュニケーションを図る際にとても気をつけている事があります。

 それはとても簡単なことですが、とても重要なことです。

 それは、相手の顔を見て、目を見て話をする、という事です。朝、「おはようございます」と挨拶してくれる人に下を向いたままやパソコンを見つめたまま返事をするのと、しっかり相手の方を向き、顔を見て「おはようございます」と返すのでは大きな違いがあります。

相手の顔色が悪ければ「具合が悪いんじゃないの?」と声をかけてあげる事も出来ます。どちらが信頼関係が築けるかは明らかです。

 メラビアンの法則というものがあります。

 人の行動が他人にどのように影響を及ぼすかというと、話の内容などの言語情報が7%、口調や話の早さなどの聴覚情報が38%、見た目などの視覚情報が55%の割合で「7―38―55のルール」と呼ばれています。

 信頼関係を築けるコミュニケーションのとり方としては、言葉よりも相手への態度や、口調、ボディランゲージが重要である事が分かりますよね。

 明日もあなた様に全ての良き事が雪崩の如く起きますように。

人間関係①

※チヌパラシーズン8掲載※2014.8
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 今回よりコミュニケーション、つまり「人間関係」についてお話しさせて頂こうと思います。
マズローの欲求5段階説というものがあります。

アメリカの心理学者アブラハム・マズローによって提唱された、人間のモチベーション理論の一つ。人間の持つ内面的欲求は5段階の階層に分かれており、低次の欲求が満たされると順々により高次の欲求を求めるようになる、という仮説を指します。
アメリカの心理学者アブラハム・マズローによって提唱された、人間のモチベーション理論の一つ。人間の持つ内面的欲求は5段階の階層に分かれており、低次の欲求が満たされると順々により高次の欲求を求めるようになる、という仮説を指します。

 このなかでも「社会的欲求」つまり「所属と愛情の欲求」の部分が人間関係と密接な関係があるとされています。
 人がなにかに悩んでいる事はほとんど「対人関係」についての事、と言われています。

 配偶者の事、家族の事、お客様の事、釣りの悩み事も魚に対してというより「○○さんよりたくさん釣りたい」という気持ちではありませんか?

 悩みというものは、自分でなかなかコントロールできない事が悩みになっています。

 相手を変えるのはなかなか難しいです。なにを変える事が一番速いかと言うと「自分の心」を変える事です。自分の行動や受け止め方を変える事が最も効率的かつ効果的です。次回詳しく説明いたします。

 明日もあなた様に全ての良き事が雪崩の如く起きますように。