ある戦後70年

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二〇一五年は“戦後70年”、いろいろなことがあった。みんながそれぞれの立場や経験からそれについて考えた。私たちは、戦後70年を経た今、歴史の大きな転換点に立っている。ならば私たちはこれからどうすればよいのか ― 残念ながらその答は容易に出てこない。その糸口を求めて、先の戦争、敗戦、戦後の復興・発展・変化をもっと知っておこうという訳である。

 私は昭和20年、敗戦の年に生まれたから、戦後○年と私の年齢は常に同じ。だからどうということはないが、戦争はもちろん知らないし、敗戦後のひもじさ、貧困もそう鮮明ではない。そのあたりのことは、親やおじ、おばなど周囲の大人の話を聞きかじってイメージしているが、あまりに断片的で、いささか正確さにも欠ける。

 おじから聞いた南支~ビルマ奮戦談にしても、父の8月6日被爆談にしても、彼らは全体験を話してくれた訳ではないし、それを聞く側(幼少期の私ら)はさらに心もとない。戦争体験、被爆体験の継承の必要性が叫ばれているが、話す(伝える)側にも聞く(受取る)側にも中々に難しいことがあるように思う。

 そうした大人の話しの中で私の印象に最も強く残っているのは、小学高学年の頃に母から聞いた満州の話である。母は大正9年生まれ、物心のつく頃は、不況~恐慌の世の中で、この窮地打開のため軍部を先頭に大陸進出が盛んだったから、勢い“軍国”少女であったろう。「関東軍」「鬼畜米英」は母から聞いた。それよりも母は“八絋一宇“娘だった。アジア全域を日本文明で照らそうという考え方で、現在では、それは戦前~戦中の日本(軍)の対外侵略を正当化しようとするプロパガンダで、とんでもないものだと一蹴されているが、母の若い頃は誰もが日本によるアジアの幸福実現を信じていた。

 母は乙女心に台湾か満州で教師になって“八紘一宇”の一角を担いたいと純真に願っていた。外地教師の夢は叶わなかったが、満州が住地となる陸軍軍人(父のこと)と結婚して昭和16年だか17年だか満州へ渡った。そして満州の春、野山の草花が一斉に咲き乱れ、えもいわれぬ美しさ ― これこそ天照大神がおわした髙天原にちがいない、と母は思ったそうだ。戦後すぐ三上波夫氏(考古学者)の「騎馬民族征服王朝説」が出てきて、母の直感も満更ではなかった(?)か。それとも母が「騎馬…説」を知っていて(それはないと思うが)、髙天原満州説を言ったものか(母はとうに亡くなっているので確認のしようがない)。

 それはさて置いて、“八紘一宇”には何やらいかがわしさが付きまとうが、先の戦争(の原因) をどう見るかに関わってくるとも言える。たしかに「侵略」の要素は大きいが、台湾・朝鮮・満州・南洋等への日本による近代化支援には目を見張るものがあり、さらに日本軍の進攻は欧米列強による植民地支配の「解放」「独立」に作用したところもあるのではないか。こうした言及は敗戦国にとって今だにタブーであるが…。

 60年も前の母からの断片的な話はこれくらいにして、今日、是非紹介したいのは、こうの史代さんという広島市出身のマンガ家が、お祖母さんから戦前~戦後の呉・広島のことをきちんと聞いて描いた「この世界の片隅に」のことである。主人公のすずさん(作者の祖母がモデル)は大正末年に広島で生まれ昭和19年初に呉の海軍鎮守府の職員に嫁いだ。「銃後の守」を荷う若妻すずさんが、空襲の下で、広島の空にきのこ雲を見て、あるいは玉音放送を聞いて、何を考えたか。すずさんの言葉、それよりも表情の変化がそれを教えてくれる。

 敗戦直後、占領軍もいる中での、すずさんの困惑、その一方での平常心と茶目っ気、そして希望。こういうすずさんたちが敗戦を乗り越えて戦後の日本をつくったんだな、とつくづく思う。
 なお、「この世界の片隅に」は片渕須直監督によってアニメ映画化に着手、いよいよ上映は秋の予定だが、すずさんをとおして戦後の始まりを考えさせてくれるだけでなく、戦前~戦後の呉がスクリーンに忠実に再現されるアニメ映画「この世界の片隅に」、どうぞご期待のほどを。

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イタリア人と日本人、どっちがバカ?

※広島経済スタートライン 2012年12月号掲載
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編集長 理事長、その本は?
大年 これはね、在日イタリア人のファブリツィオ・グラッセリという人が書いた「イタリア人と日本人、どっちがバカ?」という書籍です。

編集長 えらい事、挑発的な題名ですね。
大年 題名は実に目を引くものなんだけど、内容的には「現代イタリア事情」という感じで、冬の夜長にコタツに寝っ転がって読むにはちょうど良い本ですよ(笑)

編集長 日本人とイタリア人との比較理論もあるのですか?
大年 国民性は全く正反対というイメージのある日本人とイタリア人なのですけれどね、日本の明治維新とイタリアの国家統一の時期がともに19世紀末に行われていたり、ともに第二次世界大戦に敗れ連合軍に支配された時代があったり、その影響もあって米国コンプレックスを持っていたりと、共通する部分が多いのが日本とイタリアなんですよ。
編集長 細長い国土も似ていますね。
大年 そうだね。実は、イタリアも経済の発展したミラノやベニス(ヴェネツィア)を抱える北イタリアと、素朴だけど貧しい南イタリアとで意識の差が激しい国なんですよ。日本も関東・関西でかなり違いますよね。
編集長 イタリア人はあまりあくせくと働かず、のんびり昼間からワインを飲んでるようなイメージがあります。

大年 18世紀に観光地であるイタリアに、ヨーロッパの富裕層が旅行に訪れた際、昼間からのんびりしているイタリア人労働者を見て広まったと言われています。ただイタリア人の言い分としては、イタリア人はとても働き者で本当はすごく朝早く起きるので、昼間にはすでに疲れて休んでいただけなんだ、という主張だそうです。
編集長 いい訳の仕方は日本人に似ているのかも知れませんね(笑)

大年 そんな事も面白おかしく取り上げられている本なんですよ。
編集長 ありがとうございます。

司馬良太郎「国盗り物語」

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編集長 今回は、釣り人の間ではよくある「師弟」にまつわるようなお話を聞かせて頂けたら、と。
大年 それだったら、世は正に乱世のはじまりの頃のお話ですが、斉藤道三と織田信長の話が面白いかと思いますよ。

編集長 斉藤道三と織田信長ですか?
大年 そう。これは司馬良太郎の「国盗り物語」の一~二巻なんですが、ご存知の通り斉藤道三の娘・濃姫と織田信長が結婚して、道三と信長は義理の親子関係なのですが、どうも2人には「師弟」に似た感覚があったのではないかと思っています。

編集長 一―二巻は斉藤道三の話なのですね。
大年 文庫本は四巻までで、一―二巻が斉藤道三編、三―四巻が織田信長編となっています。坊さんから油屋に、油屋から大名にと、乗っ取りを続けて昇りつめた斉藤道三のサクセスストーリーが道三編です。道三はその後尾張をわがものにする為に信長と濃姫との政略結婚をすすめたのですが、信長のほうが器が大きかった。

編集長 信長は斉藤道三をどのようにとらえていたのでしょう?
大年 まあ、この本は司馬さんの考えたストーリーで史実がこの通りかどうか分かりませんが、信長は道三の「中世」から脱皮する革新的な戦略の立て方というものを吸収していったのは間違いないでしょう。

編集長 結果、弟子に追い抜かれてしまったのでしょうか?
大年 信長は道三の夢を受け継ぎ、それをはるか大きなものにした。そういう人間関係は釣り人の師弟関係でもあるのでは?

編集長 そうですね。教えてもらった方が先生を追い抜いて、もっともっと釣るようになってしまう事は多々あると思います。それでも、やはり弟子はいつまでたっても師匠に頭が上がらない場合が多いです。

大年 信長も道三に対してそういう意識があったかも知れないですね。
編集長 ありがとうござました。

おススメ読本 卵のふわふわ

※広島経済スタートライン2012年6月号掲載
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編集長 読書家として大変有名な大年健二呉信用金庫理事長(※当時)に、是非、おススメの面白い書籍をご紹介いただこうと!

大年 読書家と言われると面映ゆいですよ。気になった本を手にとって読んでいるだけですから。

編集長 司馬遼太郎をはじめとした時代小説がお好きだとお伺いしました。

大年 司馬遼太郎、藤沢周平の本はたくさん読ませて頂いていますが、今日は宇江佐真理の「卵のふわふわ」をご紹介しましょう。

編集長 江戸時代の料理の本なんですか?

大年 たしかに料理の話も出てきますが、離婚の危機を迎えている若夫婦を巡る物語です。主人公はお嫁さんの「のぶ」さんで、舅姑との人間模様、旦那さんとの性格の不一致の悩み、といった部分は現代社会にも置きかえられ、テンポよい文章でとても楽しめますよ。

編集長 題名の「卵のふわふわ」とはなんですか?

大年 舅の椙田忠右衛門は食通で卵料理が大好き。のぶにこの料理を作ってくれと頼むのです。どんな料理かは読んでもらってのお楽しみです。先日、わが呉市でも「減塩サミット」が開催されました。食に対する意識、食が我々の生活に及ぼす影響というのは大きいです。釣り人の皆さまも「食」という部分には敏感だと思います。そういう事も踏まえて、この一冊はおススメだな、と思いました。

編集長 ありがとうございました。

島に住んで釣をする

※広島経済スタートライン 2011年7月号掲載
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かつて「2007年問題」というのがあった。いわゆる団塊世代(1947〈昭22〉年生れ~)が2007年から順次還暦、定年を迎え、そのことが世の中を大きく変えることになるだろう、というもの。閉塞的世相の中で、この「問題」はどちらかといえばその成行きに期待がもたれた。

 「2007年問題」の到来を前にして、リタイアした団塊世代が住みにくい大都会から脱出し始める(民族の大移動が起こる)のではないかという観測がさかんに行われた。とくに人口の減少が明確となり、社会・生活資源が余剰化(その前に老朽化)しつつあった地方は、地方自治体を含めて、団塊世代移住論を大いに歓迎した。そして、それを促すべくいろいろな運動や試みが展開された。

 そのひとつ、私も積極的に参加した企画は、JR呉線の駅近くにある空き地(さがしてみればそれなりのスペースが結構存在する)に良質低廉な住居を用意して移り住んでもらおう、というもの。

 交通、ショッピング、病院など生活環境・事情の調査、地権者への打診も一部行う一方で、東京で定年退職者のセカンドライフの充実を目指して活発な活動を行っているNPO法人の代表の方(10名)を招いて1週間かけて現地を視察してもらった。彼らのニーズとどのくらい合致するのかを知るために。見学を終えた彼らと意見交換したところ、ひそかに恐れていたとおり、当方の意気込みばかり先行して、要は空回りであった。

 先方がおっしゃるには、移住の条件は一応揃えてはあるがが、移住してみたいと心惹かれるものがない、と。明確な発言はなかったが、地元(コミュニティ)が喜んで受け入れてくれるかどうかの懸念もある、と。

 さらには移住に関してご夫婦の気持ちを合致させるのは至難の業である、とも。そして彼らの意見の大宗は、いきなり移住ではなく、まず来て住んでみる滞在、体験型を試行してみてはどうか、というものだった。当方、ギャフン状態だったが、思いがけない〝発見〟があった。

 それは、彼らは「島」にたいへん興味(というより憧れ)を持っている、ということ。安浦や竹原や大乗などの駅付近の移住可能地には大した関心は抱かなかったのに、観光で立寄った蒲刈上・下島、昼食とくつろぎの為に行った大崎上島での尋常でない興奮振り、自動車で移動中に見つけた大芝島へ渡り廃校舎をみて遠い昔を思い起こしているような素振り……。(大飛躍するけど)日本人は島が好きなのだ。前述の意見交換会の中で、あるご主人が「島はいいなあ、そこに住んで好きな釣を一生やっていたいよ」と。隣の奥様もその情景を想像して夢みる乙女になられたかと思いきや、ややあって小声で「東京のウチはどうするのよ」と、現実に戻った。

 しかし、考えてみれば、「島」は今まで人生をやった娑婆(陸)から隔たりを感じるし、「釣」も今まで時・分単位で動かされてきたビジネスの日々とは一線を画す所業である。多くの人々のセカンドライフを考えるうえで、島や釣は重要なキーワードになるのではないか。

 さて、「2007年問題」のその後であるが、あれから4年たち、団塊世代はめでたく還暦を迎えみんな60才を超えたが、この世の中、地鳴りするような大変動が起こっているようではない。団塊世代の有する「技能」が惜しまれ、「再雇用」等のかたちで実業の場にとどまっていて、完全リタイヤ状態になってはいないからであるが、世の中を大きく変えるマグマがなくなった訳ではなく、ちょっと先送りされているだけではないかと思っている。地方も島も釣もまだまだこれからである。チエを出し行動すればこの国は変わるし、面白いことが一杯ありそうだ。

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日本を代表する美しい砂浜 蒲刈・県民の浜 蒲刈は釣りのメッカだ。

中国のモノマネと日本のモノマネ

※ヒロシマスタートライン 2011年1月号掲載
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姫路食博2010にて。呉細うどん研究会のお手伝い。

中国(人)によるモノマネが何かにつけて話題になり、時に物議をかもしている。彼らのモノマネはブランド品からアミューズメントもの、はては商号に至るまで広範にわたっているが、私たち日本(人)からすると、めくじら立てるような時もあるが、そうじて微笑ましく大目に見ようとする気分がある。

それは私たち日本人も近代化するに際して欧米のモノマネをしてきたし、古くは卑弥呼の時代から中国を見習ってきたではないか。今の中国は何10年か前の日本と同じだよ、と思うところがあるからではないか。

とはいっても、中国がしているモノマネと私たち日本がしてきたモノマネが全く同じかと問われると、何かしら違いがある。しかも本質的ともいえる違いがあるように思える。では、どこが違うのかと問われると、ウーンと考え込んでしまう。

これについて、かつて、ある中央官庁の広島上八丁堀の局長さん(在外勤務が長かった)から極めて魅力的な解説をうかがった。曰く「中国は〝商人〟がするモノマネ、これに対して日本のモノマネは〝職人〟がする」と。

なるほど、日本のモノマネは時としてホンモノを超え、そして異次元領域へと進化したりする。日本のモノマネの究極はそこへ辿り着くことにある。一方、中国のモノマネは、相当本物に近い物がS級、まあまあがA級、そのようなものがB級で、決してホンモノには到達しない(むしろ到達しようとは思っていない)が、価格は安いというのが彼らのモノマネの究極であるらしい。常にコストおよび利益を睨んでいるから〝商人〟のモノマネということか。

しかし、18世紀までの中国は一貫して世界に冠たる中華帝国で、四囲がみな中国をマネた。それがアヘン戦争あたりからおかしくなって、それからの200年は散々で、品質も品性も何もかも地に堕ちた。数年前、上海で「景徳鎮」の水差しを買って帰ったら、蓋が合致せず使おうとするとカタカタと鳴る。色合いは悪くなかったのだが、このカタカタはもう改善(朱・明時代への復旧)がなされているのかしら(?)

ところで、ホンモノを超える日本のモノマネはコスト無視かというと、そんなことは決してない。私は大学に入った年(昭和39年)「マーケティング論」という科目をとった。

アメリカナイズ(かぶれ?)された教授が「これからは使い捨ての1ドル時計か、1万ドルの孫子伝世高級時計になり、中級品は淘汰されるだろう」と予言したが、これがものの見事に外れた。日本は中級品の品質向上、即ち「品質の良いものをより安く」という欧米人(もちろん中国人も)には及びもつかぬこと(神の領域)に挑戦して見事に成功し、世界制覇を果たした。それは船舶、自転車、カメラ、電化製品等、ものづくり分野において顕著だが、高品質(エコ、環境、健康等の要素も付加した)で日本発の商品、サービスは価格決定までも掌中にした感もある。日本料理やある種の農水物、アニメにおいてもそうである。

こうした高品質(そして恐らく高品性)を求めてきた日本(人)がこのところ少し揺らいでいる。バブルの崩壊で貧乏になったと感じ、人口も減り収入も減って(国の借金だけは増えて)、この国の先行き不安が増大しているためだが、それらは概ね「早合点」、「錯覚」である。わが国の高品質志向は全く衰えておらず、目下の「デフレ」で少し面喰っているようだが生活は決して貧しくなっている訳ではない。中国の拡大・発展はまだ張りぼてだ。

モノマネを超えたところにいる私たちは、さらに品質と品性の向上に励み、これを「文明」にまで引上げるという使命がある(とまでいうといささかオーバーだが)。ここれでポシャってしまっては、日露戦争を戦い抜き、戦後の焼野原から再生した先人たちに申し開きできないではないか。
(22年12月14日 記)

高令化率日本一 呉炎2010.9

ヒロシマスタートライン 2010.9
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「石段の家 風」へ続く石段にて、作家・池端俊策氏(右)と。

 1年ほど前に、呉市の福祉行政の専門官の方から「これからのご老人のケアはなるべくご自宅でご家族がみるように、それが最も好ましく自然なことですから」というお話を伺った。そりゃそうだけどもチョット待ってほしい。老人ケアを「自宅で家族が」というのは昭和30年代までのことで、その後のわが国の考え方は「経済成長のために精出してくれ、そり代り老人のケアは政府がするから」へと転換したのではなかったのか。「自宅で家族が」は美しい言葉ではあるが、今になってそれを実行するのはたいへんに難しいなあ、と思っていたら―。

 先般、当地呉市の65才以上の高令者の割合=高令化率は28・2%(22/3時点)と、人口15万人以上の都市の中でトップということが呉市の調査で分かった、との報道があった。わが国全体の高令化率が22・9%だから、当地はかなり高い。また2020年のわが国の高令化率が29%と予想されているから、当地は約10年早くそれを「達成」しており、10年先を行く「先進」都市だと言えなくもない。

 当地の高令化率が高い理由、背景についてだが、そもそも××率という「比率」が曲者で、その比率は正しく評価するには分子と分母をそれぞれよく吟味する必要がある。高令化比率の分子は65才以上の高令者数、これは長寿化で増えているし、今後いわゆる「団塊の世代」が65才を超えればその増勢はさらに強まる。問題は分母で、即ち総人口が横ばいであれば高令化率は上昇するが穏当な範囲だが、当地の総人口は30年も前からジワジワと減少し続けており、分子の増加、分母の減少から高令化率は大きく上昇し、気が付けば日本一になっていた。ここでチョット考えてみると、当地は65才未満人口が〝大幅に〟減少している訳で、そのことが実は大問題であって、何とか65才未満人口の減少をくい止めること考えて有効な手をうたなくてはならないのだが―。

 話を転じて、当地に限らずわが国の高令化率上昇の中で一般的にみられる現象として、国民貯蓄にあける高令者(世帯)のウエイト増大がみてとれる。また高令者の貯蓄額自体も年々増加している気配がある。

別表
そうした状況は別表を見ていただくと明らかだが、これは日銀の金融広報中央委員会が毎年調査しているもので、サンプル調査であるうえ調査先が連続しているとは限らないので、断定的なことは言えないが、高令者の貯蓄の傾向はうかがえる。勿論あくまで平均してみたもので、すべての高令者がリッチマンである訳ではない。なお、ついでながら私の勤務する呉信用金庫の預金は近年100%以上高令者によって増やしてもらっている。

 さて、高令者の収入源は、事業収入、資産収入のある方もおられるが、大半は年金で、年金の一部を貯めておられる。消費を切り詰めておられる訳だが、年金の額もチョット多いということもあるかも(いや、平均的にみてということ!)。チョット多い部分を若手層に回せば(減税等で)、消費が増えて経済もチョット活気付く。そういうことは、みなさん内々分かってはいるが、手が付けられない。それによる「変化」が怖いから。

 しかし、これから高令化率がもっと上昇すれば現状のままでは、年金や医療費等の増大から財政(財源)がもたなくなる。冒頭の老人ケアは「自宅で家族が」はこうした事態を先取りしたものか。亊程左様に当地は全国に先駆けて高令化社会に突入していて、高令化への対応は行政や社会活動あるいは企業経営においても早くから実行されている(市営バスの老人パスなど40年前のこと)。成功例もあれば失敗例もあろうが、それらをドキュメント化して、他地域の参考に供するのも高令化率日本一の当地の義務かもしれない。
(22年8月25日 記)

呉炎 2010.9

※ヒロシマスタートライン 2010年9月号に掲載
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 学校を卒業する男子が3人。1人はグローバル君といって、中央の大企業に就職し、全国を転勤や出張で飛び回り、時には海外にも赴任した。グローバル君の仕事は主に輸出というかたちでわが国経済の成長、発展を主導した。彼は仕事に深いやりがいを感じ、自ら選んだ職業と歩んできた道に満足し自信を覚えている。人生の成功者である。

 もう1人はパブリック君。国(あるいは県市)の公務員として国(県市)のあるべき姿を企画し、微税し、予算をつけ、文字通り私利私欲を捨てエリートとしてわが国をリードしてきた。強い使命感と高いプライドを持っている。彼もやはり人生の成功者というべきだろう。

 3人目はローカル君。地元の企業に就職して、懸命に働いてその企業の技術、ノウハウを習得し、やがて「のれん」分けしてもらい(あるいは相続、継承し)、自らの創意工夫を付加してビジネスモデルを確立。地元の信用金庫に借金して工場、営業所を所有し、地元経営者として多忙な日々を送っている。ローカル君は地域経済の発展を支えているとの自負もあり、彼もまた仕事への大いなるやりがいと自らへの満足と自信を持った人生の成功者である。

 ところで地域経済を直接担っているのはローカル君だが、ローカル君の仕事はグローバル君のいる大企業からの受注であったり、大企業によって輸出されたりするので、グローバル君も地域経済とは無縁ではない。またパブリック君の仕事は予算執行を通じてローカル君の仕事を潤す。その代表が公共事業(をローカル君が受注・施工する)である。

 ここで地域経済、即ちローカル君の仕事は何によって構成されているか整理しておこう。
○ローカル君がつくる製品、サービスのうち地域内消費される部分(内需)
○グローバル君の大企業を通して→海外へ→輸出される部分(外需)
○パブリック君のところからもたらされる公共事業

 ここにおいて重要なことは、地域経済の真中にいるのはローカル君であり、グローバル君やパブリック君の存在感が強くローカル君の影が薄い時もあったが、それは本来おかしいことだと再確認しておくべきだ。
 男子3人の輝かしい人生(成功モデルといってもよい)は昭和時代にたしかに存在した。昭和時代には事業意欲に満ちあふれたローカル君がいた。しかし近年、様子が変わってきて地域経済の低迷が大問題になっている。地域経済を構成する○、○、○に次のような大異変が起こった。

○=消費構造の変化、人口の減少
○=新興国への仕事の移転(大企業からの受注単価は抑制されたまま)
○=少子高令化に伴う財政悪化から公共事業が大幅削減

 このため、グローバル君とパブリック君はそこそこやっているのに、ローカル君に元気がなくなっている。現に、地元企業の数は減少に転じて久しいが、減少の要因は事業をやめる先が増大しているのではなく、創業・起業が激減していることである(企業よ、お前も「少子化」か!)。

 では、ローカル君が蘇るにはどうすればよいのか。それにはいろいろなアプローチ、沢山の処方箋があるが、上の○、○、○に則して考えてみたい。

○→自らのビジネスモデルを今日の顧客環境の変化に対応するという観点から(自らの成功体験はしばらく横において)、真摯に見直してみることが第一。また当地の僥幸ともいうべき「大和ミュージアム」等への来訪者の増加を〝観光客〟として当地経済(の消費増)に取込む工夫と努力が絶対に必要かつ急務。

○→チープレイバーの新興国の及ばない製品、サービスへと高度化していくほかない。またこれまで大企業に依存してきた他地域・海外への移・輸出さらには海外での活動(現地化)を自ら手掛けることも考えたい。「アジアの需要」を取込むことがわが国の成長戦略といわれているが、それを誰がやるのか。地元企業が少し出ていってもよい。一方〝すぐれた〟モノ・サービスを作っていれば誰かが買ってくれるという時代ではなくなった。当地企業に販売力・営業力(顧客の創造・開拓)が付与されれば鬼に金棒。ここはひとつ地域経済の全体で〝金棒〟を手に入れる算段をしないと。

○→公共工事が以前のレベルに復する事は考えにくいが、公共インフラのみならず民間建造物も高度成長が始まった1960~70年代から急増しており、それらが経年劣化を来たしつつある。今後、計画的にそれらの保全・改修を行っていく必要がある(「コンクリートより人」とは、人が瓦解したコンクリートの下にならぬように、という意味に解すべきほどだ)。

 かくの如く、ローカル君にはションボリしている暇などない。新しい事業を拓き、起業し、これまでのやり残しやご乱業の後始末もあってタイヘンだが、地域経済を蘇らせるのはローカル君しかいない。いまやローカル君の仕事のやりがいは、グローバル君やパブリック君よりはるかに大きくなった。